年老いた母と一緒に過ごす時間は、貴いはず。
また、サービスに頼ったり、妹に変わってもらったりと、自分の時間を持てた時にも、なぜ、心におもりがあるままなのかと書きました。
なぜなんだろう。
ふと、誰のための介護なのか?と思うことがあります。
子どもが赤ちゃんだった時、夫に子どもを預け、しゃれたカフェで本を読みながらカフェオレを飲んだ1時間。
母乳で頑張ろうと思っていたから1時間です。
そんな短い時間だったのに、解放され、新米ママをちょっと忘れて、リラックスしていた自分を思い出します。
その介護バージョンが今なのでしょうか。
その時は、私、夫、赤ちゃんの世界でした。
今は、介護は誰のためなのでしょうか。
母のために決まってる。
それだけでしょうか。
親族の顔がうかんでいませんか。
その人たちを納得させるために、介護をしていませんか。
また、自分の役割の仕事を果たすために、介護をしていませんか。
母が健康的に楽しく過ごせるように見守る、援助するのが介護と考えます。
ただ、優先順位があります。
自分の健康と夢は、まず第一にする。
自分のしたいことを実現させながら、母を見守る。
自分の健康を第一に考えながら、母を見守る。
優しい母は、私に、「動けるうちに、いろいろなことをすればいいよ」と言います。
少し前は、口には出しませんが、「そんなこと、あなたがいるからできない!」と内心、腹を立てていました。
今は、「うん、いろいろやってみるし、いろいろ出かけてみるよ」と答えています。
こうやって、少しずつ、とても心の優しい母に、私も心から優しく接することが出来てくるのだと思います。
勝手に、私が私を縛って
誰かほかの人に認めさせるための介護に時間を使う。
そんな私から、脱皮しよう。