やってみたいけれど、心配だったり面倒に思ったりするときに、言い訳をつくって断ったりあきらめたりすることはありませんか。
イソップ童話の「酸っぱい葡萄」の狐は、手を伸ばしたり頑張っても、葡萄に自分の手は届きませんでした。
そこで、狐は考えました。
「あのブドウは、酸っぱい葡萄だろう。
だから、いらないや。」と考えます。
そして、狐は葡萄をとることをやめたというお話です。
狐のように、何度も挑戦してみたけれど、とることができなかった。
それで、自分には合わない葡萄だから要らないや、というならそれは一つの気づきです。
自分には合わない、今の自分には必要のないものがわかった、ということですから。
必要なものが分かる、ということも大事ですし、必要でないものが分かる、ということも大事だと考えます。
問題なのは、試していないことです。
試してみてもなく、失敗するかもしれないし疲れるかもしれない、という不安から、口実を作ってやめる、ということだと、とても損しているように思います。
慎重といえなくもないですが、やってみたいことに、自分にも周りにも、嘘をついてやめようとしていることになるのではないでしょうか。
そう、大事な言葉を思い出します。
それは『やってみたいことを、やってみて、後悔したことは一度もないよ』という先輩のことばです。
もう少しで、また、私は、やってみる前に、出来ない口実を考えて挑戦をやめようとしていました。
今日、マラソンに参加しました。
マラソンと言っても、2キロの部の出場なので、ランナーの方はそれは走ったのに入らない距離だと思われる方も多いかもしれません。
一応、大会の名前がマラソンという名前になっています(笑)。
出来ないと思い込んでたと言うのは、走ることではなくて、その大会に参加することです。
勝手に出来ないと思い込んでました。
母を一人にして、出かけるということが不安だったのです。
ちょっと考えてしまいました。
運動不足気味の私は、寒いところで走らなければならない、というのが、実は母のことと並んで、心を占めていたようにも思います。
その運動不足という心の不安を、心の奥で母のことにすり替えていたところがあったのかもしれません。
「母を一人にしてしまうので行けないかも」と。
今の自分のできる範囲で、母への準備、自分の準備をして、出かけました。
青空の下で走る爽快感と、出来ないと思っていた小さなチャレンジ(運動不足気味からの、母を残す不安からの)が達成できた満足感で、すがすがしい一日になりました。
母へのお土産も買い、気持ちよく帰りました。