あの人のこんなところが嫌だなと思ったりあんなところ大嫌いなんて思ったりしたことはありませんか?
それは嫌いだなぁと思う人の中の、「どこが嫌いなのか」というところをよーく覗いてみると、案外自分の嫌だなと思うところと同じだったりします。
そんなこと認めたくない!と思うかもしれませんが、それは本当だと私は感じました。
あんなにあの人は良くない行動をしているじゃない、って思うかもしれません。
じっくりその部分を考えてみると、実は自分が特に日常意識して気を付けているところだったりします。
特に気を付けて失敗しないようにしているところ、そう、特に気を付けないと私は失敗してしまうところなんです。
私が失敗しやすくて、気になっている部分でした。
たまに、まあいいか、と自分に甘くしている部分でもありました。
そんな自分も嫌だと思ったりもしていました。
私は、挨拶がきちんとできないのが嫌です。
出来ていない人が身近な人だったら、本当に嫌です。
実は私自身、人見知りもあります。
気後れして、相手が気が付いていない時、声をかけるのをためらうこともあります。
だから、あえて、30メートル前で、まず声をかけるようにしよう!と決めました。
苦手でできない自分が嫌なので、敢えてルールをきめたんです。
あいさつが得意な人があいさつのためのルールなんて決める必要なんてなさそうです。
私はできない自分がそこにいたら嫌だから、できていなかったときの自分が嫌だから、不自然だけどそんなふうに決めました。
そんなふうにその人全体が嫌いなのではなくて、その人の何が自分を嫌な気分にさせるのかにフォーカスして考えてみます。
全体が嫌いなのではないのです。
嫌いだなと思う人に対したとき、してみることは、次のことです。
- その人全体が嫌ではなく、その人のある行為、ある部分が嫌ということに気づく
- 自分の中に嫌いという感情があるんだなということを認める
- 嫌いという感情が、他の感情とともに、ただそこにあるんだと感じる
- その嫌いだという部分は、実は自分にもあるのではないか、と考えてみる
このように考えていくと、嫌いだと感じていた部分やその人に対して、感じ方がかわってくるのではないでしょうか。
相手のことがなぜか気にならなくなる気がします。
相手のことも許して、自分のことも許しているのかもしれません。