コーチングプレイス代表の塙さんのメルマガで、「出来ているところをで完璧にできるようにする」とありました。http://learning-playce.net/neo/usrctrl.php?mag_id=2
なるほど!
今日の私は、出来ているところというのに素直に反応できるようになっていました。
出来ているところより、出来ていない自分を深堀してしまう、そんな自分反省会ばかりしてしまう自分ではありませんでした。
この一文が、私の心のアンテナにやっとかかってくれました。
自分の出来ているところを意識する、って目から上を意識している状態でしょうか。
足元を見ないで。
足元を気にしない!というのではないです。
靴下もきれいで穴など空いていません。
靴も磨かれていて、今日の服装や気候に合っています。
それが分かっているから、もう下ばかり見ないで安心して頭の上、目から上を意識する感じです。
自分の出来ているところとは?
短い時間に、おいしい!と言われる料理を作ることができることでしょうか。
朝、毎日の目覚めがすっきりしていて、すぐにフルパワーで動けるところでしょうか。
人の意見のいいところを常に考えて、人に任せるところができることでしょうか。
歯磨きを毎回、とても丁寧に、時間をかけて行うところでしょうか。
自分の出来ていなかったところばかり、考えないとダメだと思っていました。
そこを何とか自分でフォローして、一人前。
何十年もそればかりしてきました。
今度は、今からは、そこはほっておいて出来ているところを考えてみよう。
そして、考えるだけではなく、それを完璧にするんだって!
出来ているところなんだから、完璧にできるかもしれないと、今思いました。
逆にいつも、出来ていないところを補い、そこを完璧にしないと、と思っていました。
そうか、もしかして、自分の出来ているところのレベルに合わせるために?
自分の出来ているところは、もうすでに完璧って思ってる?
自分を下げながら、同時に、自分を過大評価しているのかもしれないと思いました。
出来ていないところを完璧にしよう!とそればかり思っていました。
逆だったんだ。
自分が出来ているところにフォーカスして、それを完璧にする。
10代のときにそれをし続けていたら、もしかして、恐ろしいほどに大成功していたのかもしれない、なんて思いました(笑)。
漠然と。
ここへきて、何のために、毎日の行動をしているのだろうと思いました。
その10代、周りに評価してもらうためではなく、自分の進路を切り開くために勉強していた。
それが、いつしか、大人になり、自分の目的がぐっとせまくなって、人からの評価、人と比べた自分が優位にいられるためという目的になっていなかっただろうか。
そんなふうにも考えました。
自分の出来ているところを意識する。
そのときは、足元をみることはしません。
不思議ですね。
まず、今日、自分が出来ているというのは何だったのか考えてみようと思います。
前に、勝間和代さんも、寝る時に、「今日、出来たことを朝からひとつずつ考えてみる」というのを言われていたことを思い出しました。
そして、出来ているところを完璧に。
出来ていないところは無視。
人生の折り返しをとっくに過ぎた自分。
今からでも、遅くないですね。
私も、出来ているところを意識して、完璧に!。
これって、めちゃくちゃワクワクしてきますね。