勝間和代さんの『不幸になる生き方』を読んでいます。
そこで、私は自分で自分の責任の取れる、有責の人になるため前に少しづつ足をだしはじめます!
今、スタバです。
介護中でも、自分の時間をすごすことができるんです!

「である」人から「する」人へ
昨日の『である』人から、『する』人というのが、とても響いています。
勝間和代さんの『不幸になる生き方』にあった他責ににならないようにする、ポイントです。
今、母は、運動型リハビリへ出かけています
運動神経抜群だった母は、今でも運動が好きで、気持ちよく出かけました!
親切な職員の方々に助けられます。
この8時30分から12時20分までの私の時間、私の自分の時間なんです。
私は、朝家事を適当に済ませ、9時に家をでてウォーキングがてら、往復1時間のスタバに来ました。
そして、このブログをLatteを飲みながら書いています。
こんなこともできる!
スタバは最近でも1人で来ていますが、こんな晴れ晴れとした気持ちは持てませんでした
私は、1人介護中にいる、1人私は拘束された中にいる(母のことは大好きです。前よりもずっと!。)。
そう思いながらも、時には『介護中である』ことに逃げ場を求めていました。
また、勝手に嘆き、将来の不安を漠然と持ち、不安でいっぱいでした。
今までも、何回も1人でスタバにきてました。
ただ、囚われた気持ちでした、いつも。
1人で檻に入っていて、1人で鎖をつけていたのだと思います。

オシャレな感じではなく、グランデでかぷかぷっと飲んでいます。
影響の輪
七つの習慣で、影響の輪について書いてあります。
勝間さんも、この影響の輪を意識することと同じ、とあります。
昔、数学で習った集合でしたか。
丸い大きな輪が「関心の輪」、その中に「影響の輪」。
大きな輪の「関心の輪」の外には、私の関心のないことです。
私の関心のないこと、いいや、それは考えなくてもいいですね。
関心のあること、関心といっても興味がある、と言うだけではありません。
気持ちが流れていく、考えてしまう、ということも含め、ネガティブもポジティブも両方です。
たくさんたくさんあります。
考えるだけで、1日終わります。
そこで、「関心の輪」の中のドーナツの穴部分が「影響の輪」です。
「影響の輪」とは、自分のできることです。
自分が行動できることです。
過去のことや他人のことを変えようと思っても、それは無理。
そのことを考えて思い悩むのは、ちょうどドーナツの食べる部分にはまって身動きがとれない感じです。
なるべく、この「関心の輪 」ドーナツの、「影響の輪」穴を、大きくしたいです。
本物のドーナツではないんだから。
おもいっきり、風を通したいです。
気持ちだけ意識だけ自分が持っていって、何もできず落ち込むパターンからは、卒業したいです。
危ない危ない!
今、気持ちだけ意識だけ持っていかれて、と書いていました。
それも他責。
過去の自分の失敗や理不尽なこと、それに対して、気持ちや意識を持って行っているのは、私!!
私が考えています。
私が、自分では取り返しが出来ない過去の失敗について、1人で落ち込んで、許してもらおうとしているのかもしれません。
誰に許してもらう?
今から、母の昼ご飯になるものを、そそっと買って帰ります。
他責のままでは幸せになれない
ここなんですよね。
だから有責の人になりたいんです。
勝間さんもここをずばっと書いてます。
他責から抜け出る方法を知りたいし、実行したいのですが、ここを意識しないとでられません。
それに気づきました。
周りに依存する人、つまり他責の人は、ほかの人に責任を押し付ける
↓
相手に負担がかかる
↓
次第に、周りの人が避けて通るようになる
↓
幸せは人との出会いから始まるので、自ら良い出会いや運を遠ざけることになる
漠然と、自分で責任を取らず人のせいにするのは嫌!と思っていたのですが、なるほどと納得しました。
幸せは、やはり人との出会いが大きい、私もそう思います。
自分の幸せを他人で確かめるな

他責から有責の人への一歩を踏み出す方法へいきたのですが、またまたドキっとする言葉が。
『自分の幸せを他人で確かめるな』です。
他人の不幸せをみてほっとする、これはゆがんでいる、こんなふうになりたくないです。
他人と比べないためには、修行が必要、ともあります。
人と比べない、とことん言い聞かせる、
これを乗り越えたいです。
周りと比べる相対評価ではなく、自分内評価であり絶対評価です。
昨日より今日、今日より明日。
まだ、58歳。
明日の自分の方が、今の私を超えています。
自分で責任をとり、自分で選択した時間を、生きています。