「バカの壁」で有名な養老孟司さんの言葉で
「その仕事が嫌だなと思う時、自分を変えるしかないのだ。
好きになればいい。」
ということを言っておられました。
ずっと、自分の好きなことは何だろうとばかり考えていた私には、昔ながらの根性論のような気がして、1度はスルーしました。
私はこれが好きでたまらない!、これをするために私は生まれてきた!と、すぐに思い浮かべば最高です。
逆に、なかなかモチベーションが保てない場合でも、
「もう逃げるできないもの」だったり、
「このことをやめにして次に進むことはできない」など、
きっとやらないと後からすごく後悔するというとき、そのことを好きになればいいんです。
私は、介護をしています。
母のことはとても好きです。前よりも自分の小さかった時よりも、今の方が実はずっとずっと好きです。
可愛いし、優しいし、私の話を最後まで聞いてくれるし。
ただ、自分が意識していなかっただけで、昔も母はそうだったのかもしれません。
私が、自分の思春期時代の思いの中で、もっと話を聞いてほしい、自分の言うことを認めてほしい、母へのフィルターをかけて見ていたのかもしれません。
ただ、言えることは、認知症ではありますが、今現在の母は、とても自然体で無理がないのです。
ただ、私の時間を全部、母の介護のために費やすということは、母のためにも、もちろん私の為にも、良くないということを感じています。
実際、母はデイに通ったり、母が在宅でも私は用事を済ますために家を空けたり、母と違う部屋私は仕事をする時間というのをどんどん取ったりと、自分の時間をとるようにしています。
また近くに住む、仕事を持っている妹達にも手伝ってもらうよう声かけをして、実際に私は旅行へ2泊3日行くことができました。
形の上では自分の時間を作って自分の事をする時間を大切にしているということになりますが、私の精神的なことでは、今は自分のために使っているのだ!という解放感のようなものはあまり、感じずにいます。
母のためにこうしなくてはいけない、私が他の誰よりもこの時間を沢山取らなければいけない、という、母に対して、『しなくてはならない』という気持ちがたくさん占めてしまっています。
この1年半、父が亡くなってからの時間、色んなことを試みたり考えたりしました。
母に対しての介護は、
「母の世話をしなくてはならない」から、
「母と一緒に過ごす時間を楽しみ、好きになる」ということへ変換することが、自分が幸せになるための一番の近道だということに気づきました。
今日からもっと母を好きになります。そして母と過ごす時間をたくさん楽しみたいと思います。
この楽しい時間を、妹たちにも分けて声かけをしようと思います。
あわせて、今のこの瞬間を毎日毎日楽しもう。