「両親の介護が必要になった!」
「高齢の両親が心配だ。」
世間では聞いていた話でしたが、実際に自分がその立場になる、またはなりそうだというとき、ちょっと読んでみてください。
介護って子育てと同じかも、気楽にいこう!ということです。
よく子育ては、子どもが成長していくのを見守るけれど、その逆が介護っていいますよね。
なーんだ…という感じかもしれませんが、『介護しなくては!』って力を入れなくてもいいんです。
今度は、母のお母さんがわりになればいいんです。
私の場合は、そんなふうに、「そうか、子育てすればいいんだ!」と思えるまで、1年以上かかりました。
いろんな考え方をしました。
親に対して、恩返しなんだ、がんばらないと、とか。
ここをがんばることが、私の人間的成長につながるんだ、とか。
私を産み育て、導いてくれた親。
感謝しています。
孫にも、ずいぶん心を配ってくれていました。
だから、親に対してはありがたい気持ちでいっぱいだし、親孝行は当然。
そうなんです。
あくまでも親孝行、なんです。
「おとうさん、おかあさん、どうしよう」って。
面と向かっては言葉では言いませんが、私にとって甘えたいし頼りたい存在でした。
いくつになっても。
私、親孝行な娘なんです。
そういわれ続けてきました。
親と子という縦の配列の中で、感謝し、お手伝いする。
ずっとそういう立ち位置でした。
だから、介護というのは、なかなか実際と心の中がかみ合っていませんでした。
私は、ずっと子どものままだったのです。
私にとって立派な父と母。
ずっと何十年もそのままでした。
だから、介護は辛かった。
ここへきて、私は、母のお母さんがわりになればいいんだと思いました。。
私は、母のお母さん。
子育てが始まったんです。
そう。
それも本当の子育てより、ずっと気楽な子育て。
子育てについて、よくこのようなことを聞きませんか?
子育てのみを生きがいにしてはよくないと。
だから、介護を生きがいにしてはいけないんです。
外で働くお母さんでいい。
保育園に子どもを預けながら、自分を活かして働く。
デイサービスに行ってもらって、自分を活かして働く。
ときには、ランチを友達と食べにいけばいい。
誰かに母を預けて。
私にとって、子育てにかけた時間より、介護に対してはまだ全然日が浅いです。
また、あまりにも世間一般ではいろいろな考え方があります。
犠牲的精神で介護をしろ、とか。
子育て以上に、介護に対しての価値観は、まだまだ閉鎖的に感じます。
自己実現をしながら子育てもしていく。
それと同じように、自己実現をしながら介護をしていく。
それでいいのだ!