先日からの『こころの対話 25のルール』伊藤 守著から学んでいます。
コミュニケーションをとろうとする相手は、自分の鏡。
なぜ、私の話を最後までしっかり聞いてくれないの?
よそを向いて聞きたくないそぶりをされる。
もしかして、自分もそうしてる。
そんな時、キャッチボールを意識してみましょう。
①A:「今日の夕食は、好きなものばかりでうれしいな。」
②B:「好きなものばかりだったんだね。よかった!」
③A:「うん、また、こういう夕食がいいな。」
ボールを投げて、投げ返してもらい、キャッチして返す。
これで1セットになります。
①と②で終わってはまずいです。
まだ途中です。
これだと、未完了なんです。
最後の③で、柔らかくキャッチした言葉のボールを返すところで終了です。
また、②で、
きちんと①のボールをキャッチしたはずなのに、そこから変化球の稲妻ボールを突然投げるようなこともあるとこうなります。
①A:「今日の夕食は、好きなものばかりでうれしいな。」
②´B:「もっと栄養のあるものを明日は作るよ」
Aさんは自分の話を聞いてくれたようには感じません。
話もこれ以上に続かないです。
まずは、話を受ける。
そして、返す。
伝えたいことがあるときは、
話を聞こうと思える関係を作る。
そして、伝える。
自分が話を聞こうともしないのに、相手に自分の話を聞けというのはむしが良すぎると思いました。
また、このキャッチボールをする。
ドッジボールではないんです。
強いボールを投げ、相手も投げ返す。
強さの勝負をするのがコミュニケーションではないんです。
勝ち負けを決めるのがコミュニケーションではない。
優劣を決めるのもコミュニケーションではない。
相手と同じ景色をみて同じ空気感を感じる、その醍醐味がコミュニケーションなんです。
コミュニケーションはすばらしい。
また、この本で、コミュニケーションは能力によるものでも、性格によるものでもないとありました。
先ほどの会話の練習をすること。
そして、相手と同じ景色を観ようと思うのがコミュニケーションです。
また、相手にいいコミュニケーションをとってもらうために、きちんと会話しろ!というものではありません。
何でもよく言われるように、自分が影響して変えられるのは自分だけ。
それで、十分です。
いきなり、相手が超高速の魔球のドッジボールを投げてくるときも、時にはあります。
そこでは、自分は鏡というより壁になり、ただ跳ね返すイメージです。
相手が、会話のキャッチボールができるようになるまで、ただ跳ね返す壁でいる。
あるいは、時期をかえるか、やめるかでしょう。
会話のキャッチボールと
あいてと景色を共有するのがコミュニケーションと考える
これを学べたのが、とてもよかったです。