子どもの記念日のお祝いでした。
その記念すべき日に、考えたことがあります。
母が少しでも、残りの人生を幸せだと思う時間が多くなりますようにと。
そのために、私自身の幸せの一つとして、そのお手伝いをしたいと。
母は、認知症です。
もう3年半、そのための薬を処方してもらっています。
今日も、午前中に、娘のパーティ料理のための買い出しと、知り合いの方の個展に伺いました。
朝9時から出かけて、午後2時まで、私の行動につきあってもらいました。
きれいなものが好きな母なので、絵画の個展では、その時間は楽しんでいたのではと思います。
ただ、もう家に帰って2~3時間経つと、何もなかったことになっています。
母の記憶の中では。
認知症の症状を緩和する薬。
でも、それは、認知症を治してくれるものではありません。
ゆっくりカーブを描きながら、やはり、症状は進んでいきます。
とても母はおだやかです。
上品です。
優しいです。
ときおり、母は、いらない!いかない!という強い言葉で否定するときもあります。
私が、母のためと思い、自分なりに計画をたてて時間を作って用意したものが、理由もわからず無駄になるものも多いと、私自身感じます。
そういう時、とても辛く、腹立たしくもあります。
客観的にみると、私の中の勝手な思いのことなので、母の思いはまた違うから、私が自分本位であるということも言えるでしょう。
それも分かります。
そんな時は、自分の好きなことをすることにしました。
外に、1時間軽くランニングしてくるとか。
1時間、カフェラテを飲んでくるとか。
すきな番組をだらだらみるとか。
母に軽い拒絶をされたら、少し自分に着目します。
ちょっと自分を大事にすることで、母の言葉に、むやみに傷つかないようにしています。
そのような、他の人間関係でも、役立てるような対処法を見つけながら、新しい一歩を踏み出そうと思います。
夜、母が寝る時、母がお布団にくるまれて安心しているのを見守る。
いろいろあった一日でも、夜、母にとって、娘がよりそってくれたら、きっととてもうれしいに違いないとおもいます。
こういう日を続けていこう。
母を看ることで自分が辛いと感じることがあったら、その度合いに合わせて、自分を大事にする時間をとろうと思います。