ブーメランみたいに、自分が投げかけたものが返ってくる?
自分が「この人は嫌だ、本当に腹が立つ!」とおもっていると、相手も同じように「嫌だ、本当に腹が立つ!」と思っています。
そんな経験をしたことはありませんか。
投げかけたものが返ってくるんです。
不思議です。
相手のとっているコミュニケーションは、自分のとっているコミュニケーション。
社交辞令的に、会う約束をしていたとします。
心の中で「この人は許せない。腹が立つ。」と感じていても。
大人だし、周りの人の目もあるし、嫌いだけれど会う機会を作ろうと考えます。
やはり、自分の感情は相手になぜか伝わっているのです。
声に実際に出していなくても。
そんな時は、相手は嫌がるでしょう。
そんな心と裏腹なおもてなしをされても。
頑張って形だけでも相手をもてなそうと思っても、なぜかばれてしまうんです。
自分の中に、『人を嫌いになる心』があった、なんて認めたくないのですが。
あるものはある。
言葉ではわかるのですが、そんな嫌な気持ちが自分の中にあるなんて、認めたくないです。
なぜ、嫌いになったか、こんなにひどいことをされたから、嫌いになったんだ。
そのような分析をしていたら、ますます、嫌い度が増し、そのことにとらわれて、自分の大事な時間や自分の心がもったいないです。
どんなひどいことをされたかの分析はひとまず置いておいて、まずはそのまま丸ごと、「自分は、今、ここにお腹の子のあたりに、嫌いな気持ちがある」と受け入れるんです。
それで、初めて、自分との感情と折り合いがつきます。
自分の気持ち感情を受け入れてあげたことになる。
前に本でも読んだことがあるような言葉ですが、なかなか自分の感情を受け入れるってむずかしいです。
悪い気持ちを持ってはいけない。
悪い気持ちを持った人間は悪だ。
そもそも、悪い気持ちって何?
きっとうれしい、大好き、幸せという気持ちをいつも持って生きる、それこそが良い人間として認められる。
そのいわゆるいい感情を持っていたら、立派ないい人間だ。
つまり、その逆は悪い人間。
そんなふうに思い込んで何十年も生きてきました。
そのように教育されたこともありますが、自分がそうすればいいと、勝手に思い込もうとして無理に生きてきた感があります。
その「人を嫌いだ!」と思う感情を、外に思いっきりまき散らす、というのは反社会的行動になるでしょう。
それと、その感情を持つことを否定する、だから自分が持っていることも認めない。
そんなふうに捉えてしまったのだと思います。
感情と行動。
ごちゃごちゃにとらえていたのかもしれません。
自分の中の感情は、全てがいい、悪いはない、と学びました。
そこから、私は、変われたと思います。
私の中の感情は、いい・悪いはないけれど、全部が大事。
嫌いだ!という感情も、大事。
そう思えたとき、
なぜか、相手にも伝わっていました。
優しい言葉が返ってきました。