同じ話、そう何回もはなされることが多くないですか?
高齢者の方から。
母からも同じ話を、外へ出かけるたびに聞くことになります。
母の青春時代。
輝いて楽しかったワクワクしたときの話。
ちょうど母が通っていた高校が近くにあるので、思い出されるようです。
その話を気持ちよく聞けるときもあります。
アーそろそろ始まる、と全く聞けないときがあります。
そんなふうに、人の話を聞けるときと聞けない時。
そんな経験をしたことはありませんか?
今、『きっとうまくいくよ』伊藤守著を読んでいます。
そこで、同じような話が出てきます。
話が聞ける、聞けないというのは、話し手の問題ではなく、聞き手の状況の問題と言われています。
これは、私もずっと感じていたことです。
話が聞けない時は、自分にも余裕がないので考えが深まりません。
しかし、話を聞けるときは、なぜ同じメンバーの同じ話の内容なので、きっと聞き手の私の問題なのだと、感づいていました。
伊藤守さんも同じことを書かれていたので、心強く思えました。
そう、話が聞けるときは、心にゆとりがあり、透明感があるということだそうです。
透明感。分かります。
こちらが
「今から、話を聞くよ。
どんな内容でも聞く用意ができている。
また、話をきけるのがうれしいの。」
と、心の中で思っているとき、きっと気持ちよく相手の話を聞くことができます。
コミュニケーションをとりたいと思う人に対して、
自分にとって聞きたい内容かどうか、が問題ではないんです。
目の前の人と同じ景色をみて同じことを感じたい、というのがコミュニケーションをとるということなのです。
もし、この人の話は何度でも聞きたい、あちらの人の話はあまり聞きたくない、そういうことがあったら、
それは、コミュニケーションをとるということ以外の問題かもしれません。
その時は、何が、話を聞きたくないと思わせているのか、を考えてみることが大事なのかもしれません。
話をしているあの人が問題なのではなくて、自分自身が感じていることに気づくことをしてみます。
直接あの人に関係していなくても、ずっと我慢していたことが思い出されるのかもしれません。
また、気にかけていることを刺激される内容を話されるからかもしれません。
透明な心で、相手に安心感をもってもらって話をしてもらい、楽しんで聞く。
また、もしかして聞けない場合は、奥深い自分の中の理由を掘り下げてみて、解決を図る。
大切な人たからら、何度でも安心して話してもらえる安心感を与えられる自分でいたいと思いました。