「そこに愛はあるんかい」
っていつかCMでみたことがあります。
その行動のモチベーションになるものは何なのか。
それは、大きく二つに分かれていて、
愛
恐れ
だそうです。
愛からの行動は、どんどん幸せにふくらんでいきます。
恐れからだと、幸せにふくらんでいくことはないそうです。
愛がモチベーションの行動は、夕ご飯をつくるにしても、
今日は、みんなが喜んでくれるかなとワクワクして作ることができます。
病気になってほしくないな、元気でいてほしい、と栄養を考えて作ります。
コーヒーを運ぶ仕事なら、このいい香りで今日も頑張って!とエールを送りながらサーブする。
ここを修理すれば、安全に気持ちよく暮らしてもらえるなと思い、作業にあたる業者さん。
お父さんが少しでも痛みがとれますように、と寄り添う娘さん。
そこに、自分の中の愛を向けて行動すると、その行動をしている間もきっと幸せになれると思います。
逆に、
叱られるから、恥ずかしいから、変な目で見られるのが怖いから、というのがモチベーションになっていると、
全く同じ行動でも、相手やその対象に与える印象が変わってきます。
「したくないけど、変な人、薄情な人と思われるのがいやだから、この仕事をやろう」
そのときは、きっとその周りにいる人全体に、嫌な空気感や緊張感が伝わっています。
仕事の結果も、愛がモチベーションのときと比べて、なかなか成果がでないのではないでしょうか。
それに、しかたなく、何かから認められるために、何かの許しを請うために、しているときは、何より、自分がが辛いです。
何のために、しているのか。
自分のため。
自分のためというと、自分本位で自分勝手と誤解されがちです。
そうではなくて、自分の心からの愛に従うということです。
自分の心を信じているので、自分がしたいということは、相手に愛を与えることと一緒なんです。
自分の心は愛にあふれているので、自分がしたいということは、相手にGiveすることと一緒なんです。
それだから、誰かの評価のためにすることは、自分の心に従ってすることと、一見同じ作業をしているように見えても、全然違うのです。
そこに、愛はあるのでしょうか。
この、一歩一歩も。
明日の一つの挨拶、「おはようございます」と声かけることも。
自分がしたいことを私はします。
誰かの評価におしつぶされるのではなくて。