本当に自分が選択していきているでしょうか。
生きていくために、たくさんの大事なことがあります。
自由?
信頼を得ること?
お金?
生命の維持が今はできるとして、次に考えたいことは何でしょうか。
『自分の人生を自分が選択して生きる自由』、これを最大限に大事にしませんか。
同じ仕事をするにも、人に言われたからではなくて、どんな時も自分が選択していくのです。
家族のためにごはんを用意する時にも。
将来のために、家族のために、お金を蓄えようと思った時も。
いつも、自分が選択するのです。
今日の夕ご飯のメニューも、家族にリクエストを聞く時がありますが、それは自分がリクエストを聞きたいからしている。
自分がしたいことをしたい、これは、自己実現で、自分勝手とは違います。
家族のために時間を使う時も、自分の意思で使いたいと思ったから使うというように、決めたいです。
だれかに、環境にやらされているのではなくて。
全てが自分の責任となるわけですが、自分で決めて行動する、そうすることでやっと人間として生きていると言えるのかなと思います。
歴史的に見ると、わがままとしか思われない時もあったかもしれません。
人のために社会のために、自分の意思を通してはいけないという時代もあったと思います
その中でも、強く優しく温かく生きてきた人は、自分の意思を持ち、行動してきたように思います。
「完訳 七つの習慣」スティーブン・コヴィー著の中で、ドイツで強制収容所に送られたユダヤ人の精神科医の話が出てきます。
彼は、その収容所の中でも、自分が受ける刺激に対して反応を自分で選択できるという自由、というものを失うことはなかったそうです。
そんな過酷な状態でも、自分ができる選択をして、生きてきた人がいます。
刺激は自分の思い通りやってくるわけではない。
自分にとって予想外の辛いものかもしれない。
ただ、そこからの自分の自覚、想像、良心、意志は自分で選択できる自由がある。
私たちだって、できるはず。
もし、周りの環境に押しつぶされそうになって辛い時、自分が選択して生きるということをもう一度、意識してみませんか。
自分の人生を、自分らしく生きてみませんか!
私たちは、幸せになるために、生まれてきたのだから。